思えば保育園の時から、パン屋さん、ファミコン屋さん等など、”将来の夢”を語る機会は与えられていましたが、将来は何になるのだろう、と少し真面目に考えることがあった中学生時代。
中学入学の年にJ Leagueが華々しく開幕し、世間ではサッカーが大盛り上がり。同じサッカー部の中にもJリーガーを目指し、実際にサッカー推薦で強豪校へ進学した同級生もいました。でも、どういうわけか自分はプロのサッカー選手になるつもりなど全く無かったものです。「なれるわけがない」と、とても現実的な視点を持っていたのか、でも逆に「では将来は何になるのか」、「自分が本当に好きなことは何なのか」と不安になる事もありました。
そんななか、確か2年生の時だったと思いますが、技術家庭科の授業で本棚を作った事が転機に。本棚を作る・・・それは単なる授業の課題だと思えばそれきりですが、自分にとってはその後の道を決める大きなキッカケとなったのでした。
たかが本棚ですが、まず最初に”どんな本棚を造るか”の設計図を描かされました。そしてその自分で描いた設計図を見ながら、与えられたベニヤのような材料を切ったり加工したりして組立てていく。それが完成した時の達成感とその本棚への愛着(今はもう紛失してしまいましたが)、そして”自分で描いた物がカタチになる”という事が「楽しい」と感じたのです。
その後も将来について考える期間があったと思いますが、やがて「自分の家を自分で設計したらどんなに楽しいだろう」、とふと思いつき、「将来は設計士になろう」という考えに辿り着きます。おそらく両親とそんな話をした時の事だと思いますが、「それなら一級建築士だ」と言われ、以降「将来は一級建築士になる」と言い始めたのでした。英語の授業にて、将来の夢を英語で発表する時に「My dream is to become a first grade architecture designer」(※正しい英語なのかは不明)と言ったのを覚えています。一級建築士の具体的な仕事はよく解っていませんでしたが、なんだか響きがカッコ良いなと。
以後、「一級建築士になるには大学の建築学科に行かないと」、とおそらく父から聞き、建築学科に行くために進学校へ。高校2年になり文系か理系を選択する際には迷わず理系を選択。サッカーは続けていたし、途中で音楽に興味を持ち始めた事もあり、中学~大学まで常に「一級建築士になる」と考え続けていたわけではありませんが、そこはやはり良くも悪くも”一度決めた事は曲げない性格”。文系or理系の時も、どこの大学のどの学部なのかを選ぶ時も、事あるごとに”建築学科”に固執し、それを理由付けに道を決めてきたのでした。
社会人となった今でも”自分で描いたものがカタチになる”という事は楽しいです。またそうして出来た建物にはとても愛着を持っています。これまで様々な事を経験して来ましたが、「やっぱり自分はこの仕事が好きだ」、「ここまでの道のりは間違いでなかった」と確信しています。