営業マンだったからこそ得られた経験値~”財産を売る責任の重さ”とそのやりがい

 「一棟契約が取れるまで」と自ら辛い営業研修の延長を志願して以降、結果としてハウスメーカーにいた6年間は終始営業マンとして終える事に。学生の時は「絶対に営業だけはやらない」と決めていたに何故か。

 毎月のように”今月は契約が取れるのか”という事業部長や支店長からのプレッシャーに晒されつつ、毎日帰りは深夜で休みはほぼ無し。その反面、建築社員は固定給だったのに対し営業は歩合制。やればやっただけお金を稼げる給与体系でした。最終的には、20代にして十分過ぎる収入を得ていた事も確かです。しかし営業マンを続けた主な理由は他に二つありました。

 一つは、私のいたハウスメーカーにおいて、設計をするのは営業担当者だったのです。のちに、当時やっていた事は「設計」と言うにはあまりに薄っぺらいものであったと振り返る事になりますが。それはともかく、お客さんから要望を聞いて、専用CADソフトで間取りや外観(いわゆる”プラン”)と見積を作成し、それを提示してお客さんと打合せをして煮詰めていく―――、それは営業担当者の仕事だったのです。私は単純にそのプランを作る作業が好きでした。もちろん契約に至らなければ全てが水の泡と消える事になりますが、逆に契約に至れば、私の描いたプランの家が実際にカタチとなって街に現れるのです。まさに中学生の時に覚えた”自分で設計したものがカタチになる楽しさ”だったのです。

 もう一つの理由、これこそが最大の理由であり、営業マンだったからこそ得られた絶大な経験値となります。それはお客さんと一緒に進める、”住まいづくりの過程”が楽しかったのです。”楽しい”という表現が的確なのかは微妙なところですが、嬉しいというか、とてもやりがいを感じていたのでした。

 大抵の人にとって”住まい”とは、人生で一番の大きな、人生で一度きりのお買い物です。誰しもが絶対に失敗などしたくないお買い物なのです。私の設計した建物を建てて頂き、そこで生活をし、それが受け継がれていく―――。家を売る=”財産を売る”であり、契約=そんな一世一代のお買い物を私に任せて頂けるという事なのだと気付き、契約後もお引渡しまでその住まいづくりに携わる事、更にはお引渡し後もずっと関わり続ける事―――。それを成し得るのはお客さんとの信頼関係そのものであり、そしてその信頼と期待に応えるにはそれ相応の、逃げも隠れもしない覚悟が必要です。使命感と共に、そこに喜びや達成感、やりがいを感じるようになっていたのでした。

 そしてそれは今でも変わりません。住まいづくりとは、結局のところ「人 対 人」。”〇〇ハウスさん”や”〇〇ホームさん”ではなく「”鎌田さん”にお願いします」なのだと。逆にそうでなければ住まいづくりはうまく行かないと言っても過言ではないと思います。「絶対に営業だけはやらない」と決めていたのに、思いがけずハウスメーカーの営業マンとして過ごした6年間でしたが、ここで得た経験は、その後もこの仕事を続けていくための、私の大きな財産となったのでした。

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