実家を建てたハウスメーカーへ~あくまでも”住宅”を

 中学生の時に「一級建築士になる」と決め、その大義のもと入学した建築学科。決して優秀な成績ではありませんでしたが建築についてそれなりに学び、木造から鉄骨造や鉄筋コンクリート造、また住宅から大きなビル、はたまた都市計画まで、一口に”建築”と言ってもとても幅広く、また”設計”と言っても意匠設計から構造設計とあり、一級建築士と言っても何でもかんでも、建築について全てをつかさどるのは不可能だと気付きます。

 そして、一級建築士になる以前に、まずは就職しなければなりません(実際のところ一級建築士は実務経験が無いと受験が出来ない)。3年生の終わりの頃になると、周りにつられて私も就職活動を始めます。設計事務所を目指す人、ゼネコンを目指す人、または大学院へ進んでもっと研究したい人等が主でした。

 私は早く社会に出たかったので大学院という選択肢はまず無い。一級建築士と言っても、自分は何がしたいのかと考えた時、やはり設計がしたかった。現場監督ではなく、あくまでも設計図を描く人になりたかった。あの本棚を作った時のように。かと言って、有名な設計事務所や大きなゼネコンの設計部に入れるほど優秀ではないと自覚していたし、仮にそのような所へ行ったところで何を設計するのか。オシャレで奇抜なデザインで有名になりたいわけではない。また、大きな箱物建築の設計?と考えてもピンと来ない。そもそも「一級建築士になる」という以前に「自分の家を自分で設計する」という大前提がありました。そのため就職活動はハウスメーカーのみに絞ったのでした。

 ハウスメーカーに就職した人は私の他にも何人かいましたが、私の大学の建築学科には少なかった気がします。少なからず、建築学科においては「ハウスメーカーなんてダサイ!」といった風潮があったように思います。確かに、有名な建築家やいわゆる設計事務所の設計する建物と比べたらハウスメーカーの家なんてオモチャみたいな建物で、そもそも”設計”と言えるレベルのものではない。また、なぜ住宅なんて庶民的で小さなものを・・・という扱いだったのかも知れません。でも私は住宅がやりたかったのです。自分の家を自分で設計するために。

 それはさておき、ハウスメーカーに絞ったとは言え世の中にはたくさんのハウスメーカーがあるもの。これと言って決め手の無いなか、実家を建て替えた際にお世話になった準大手ハウスメーカーの募集を発見します。全国区の大手メーカーも含め、何社か受けましたが、結局はその準大手メーカーで内定を頂いた時点ですべての就職活動を終了したのでした。”実家を建てた”、ただそれだけでしたが、実家を建てる際に両親が選んだハウスメーカー。凱旋するわけではありませんが、そこに就職したら両親もなんだか安心するかな、嬉しいかな、と少し考えたのを覚えています。全国区ではないものの、確か当時100近いの支店があるなか、配属先は実家から通えるところに決定。4年間の都内での一人暮らしに終わりを告げ、群馬へ帰るのでした。

就職した当時に私がいた住宅展示場。 15年以上経ち、出展しているハウスメーカーも様変わり。

 

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